8 和泉式部の墓

春日丘6丁目 バス停「伊丹坂」南東




 花崗岩の五輪塔の残欠です。彼女が川西市平井の藤原保昌に嫁していたのでここにあるのでしょう。





 「ことわりや いかでか鹿の鳴かざらん こよい限りの命と思へば」
                  式部。


 この石塔は、地元で「和泉式部の墓」「五輪さん」と呼ばれて親しまれている花崗岩製の五輪塔の一部で、地中から掘り出されたものといわれます。鎌倉時代後期の様式を示しており、五つの部分のうち、「火輪」「地輪」を除く「塔身」「請花」「宝珠」だけが現存し、高さ約120センチ。完形なら約230センチにも達する大型の立派な五輪塔だったと考えられています。
 平成12年5月に市文化財に指定を受け、石塔のある土地9平方メートルを所有者から寄贈を受けるとともに、石塔を覆っていた古い草堂を撤去して江戸時代様式の木造本瓦ぶきの草堂(幅・奥行き約1.2メートル、高さ約2.8メートル)を建立。
 和泉式部は平安時代の有名な歌人。鎌倉期以後、その歌才と「恋多き女」ともいわれた奔放な生き方を語りものの材料として全国を布教して回った尼僧たちの影響からか、全国各地に墓や供養塔と称するものが残っており、この石塔もその一つとみられます。